「まめこのおうち」への想い

 

保育士経験もあり、育児に自信があり、理想の子育てを描いていましたが、
いざ子育てが始まると一変しました。

 

「息子が言うことを聞いてくれない!イライラ!!」

「息子に振り回され、家事が全くすすまない!イライラ!!」

「癇癪ばかり起こす!イライラ!!」

 

子育てを楽しむどころか、苦痛でイライラの毎日。

 

公園へ行くと、ママ友同士でピクニックをしている様子を横目で見ながら・・・

 

「うらやましい!」

「なぜ、うちの子はじっとしていられないの!」

「どうして、みんなのように、ママのそばにいられないの?」

「私だってピクニックしたい!」

「ママ友なんて、一生できないかも・・・。」

 

そんなことを想いながら、公園中走りまわる息子の背中を、泣きながら追いかけ回していました。

 

孤独な育児にどんどん自分を見失っていき・・・

 

とうとう癇癪を起こす息子に暴言を吐き、おもちゃを蹴り、

それでも気持ちがおさまらず手をあげてしまいました。

そんな自分を責め続け…。

 

ある日、母親(実母)に

「このままでは、息子と死んでしまいそう。」

と泣きながら訴えました。

 

しかし、返ってきた言葉は、

「何バカなこと言ってるの!しっかりしなさい!」

一番、聞きたくなかった言葉が返ってきました。

 

その時、よく分かりました。

 

私は、母親に助けてもらいたかった…。
そして、このひと言を求めていたのです。

「あなたは、よく頑張ってるよ!」

 

突き放された私は、

「死んだら、分かってもらえるかも。」

 

クローゼットのパイプや物干し竿にロープをかけようとしたこともあるほど

私は追い詰められていたのです。

 

 

なぜそこまで追い詰められたのか?

 

孤独だったから?
ママ友がいなかったから?

決して私は孤独ではありませんでした。

 

やさしい主人もいました。遊びに来てくれる友達もいました。

実家へも頻繁に通っていました。

義父母もよく泊まりにきてくれました。療育施設の先生も寄り添ってくれていました。

 

私は沢山の力を借りながら、子育てしていたのです。

それなのに、なぜ、育児ノイローゼになってしまったのか・・・。

 

「相談する」とういことが怖くてできなかったからです。

 

毎日通っていた療育施設には、保育の専門家の園長先生、臨床心理士の先生もいました。

でも、怖くて自分の本音を、核になる悩みを話せませんでした。

 

本音を話してしまい、軽蔑されるのが怖かったからです。

 

「保育士のくせに、虐待?」

「良いお母さんのフリをしていただけ?」

「子どもを愛せない母親なんて失格でしょう。」

「人間性に問題があるのでは?」

そう思われたらどうしよう・・・。

 

余計に自分の心が傷つきそうで、ずっと「良いママ」のフリをしていました。

 

子育てが上手くできないのは、息子のせい。

母親が冷たいせい。

全部周りのせいにして、自分はかわいそうな悲劇のママ」を演じていました。

 

そうすることで、心は保たれ、上手く子育てできない言い訳になったから。

 

では、なぜ育児ノイローゼが治ったのか?

 

 

主人が亡くなったことで、私は守ってもらえる大きな盾を失ったからです。

 

おおらかで、やさしくて、全てを受け入れてくれていた主人は、

私にとって大きな盾だったのです。

 

盾を失った私は、もう自分で自分のことを守るしかなくなりました。

息子のことも。

 

「これからは、自分の人生、自分で切り開いていく!」

「息子と一緒に絶対にしあわせになってみせる!」

 

目が覚め、悲劇のママから主人公のママへと意識が切り替わりました。

皮肉にも、人生最大の悲劇が私を救ったのです。

 

主人の病気も、あの日に死ぬことも、きっと運命だったと思います。

でもまるで、命をかけて私と息子を守ってくれたとしか思えません。

だから、決めました。

 

私のような悲劇が起こってしまってから気づくのではなく、

悲劇が起こる前に、悩んでいる人を救いたい!

 

 

主人が亡くなって7年が経ちました。

確実に自分の人生を切り開き、息子と一緒にしあわせの階段を昇っています。

ふと立ち寄ることができる場所、悩んだら駆け込むことができる場所

 

それが
「まめこのおうち」です。